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2012年10月23日 (火)

ブラジルの旅2012報告(4)帰国した「デカセギ」

サンパウロの中心から電車を乗り継いで北西へ約15キロ。ジャラグアー駅近くを訪れ、Fernando10田町で15年ほど働き、リーマンショックがきっかけで3年前に帰国したブラジル人一家に会いました。
ブラジル人たちを自動車部品工場などに派遣する派遣会社で働いていたフェルナンドさん、日系3世のユキコさん夫婦。16歳のルーカス君、10歳のカロちゃん、8歳のタイナンちゃんの子ども3人は広島生まれです。

すっかりきれいになった中心部の街に比べると、Fernando42 道は悪く、整っていない町並み。ちょうどその日が投票日だったサンパウロ市長・市議選のチラシが道路に散乱。空気はゆったりと流れています。ファベーラ(不法占拠のバラック住宅地)もあちこちにあります。ここで生まれ育ったユキコさんは「昔は森だった」と振り返ります。サンパウロの街は郊外へとどんどん巨大化しています。
Fernando112 ユキコさんの弟一家も近くに住んでいます。弟の一家も海田町から帰国。昼は車の修理の仕事、夜は開いたバーの店番を奥さんから引き継ぐ。朝から晩まで働き、4人の子どもと何とか暮らしています。

フェルナンドさんは日本で稼いだお金と、日本でも勉強を続けた音楽の知識を生かし、音楽スタジオを開きました。レコーディングの機材は日本で購入。ギターの講師を務めながら地元バンドなどのレコーディングをしています。別にギターや歌の先生が3人。経営は順調のようです。
ユキコさんは学校の先生。デカセギで中断した大学の勉強も再開し、午前は仕事、午後は大学で勉強しています。
スタジオに案内してもらいました。息子のルーカス君はどんどん上達しているギターを弾Fernando82 き、娘たちはレコーディングごっこにおおはしゃぎ。

ルーカス君は中学1年まで海田で暮らし、現在は高校1年生。ポルトガル語はあまり得意でなく、学校ではとても苦労しているようです。今はギターのおかげで友達もでき、ようやく元気になったようです。娘2人はポルトガル語。タイナンちゃんは完全に日本語を忘れたそうです。
子どもたちは日系4世。日本生まれ育ちでも、特別な職業でない限り、日本に定住するビザは取れません。
2008年に約30万人いた日本のブラジル人は、約20万人まで激減しました。日本で育った子もたくさん帰国(というより移住か)しましたが、多くがポルトガル語や異文化になじめず苦労しています。親は少ない給料と高い物価に苦しみ、厳しい生活を余儀なくされています。日系社会で支援活動を行っている教育者や心理学者たちもいますが、フォローはとても行き届いていません。

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